日にちが近づくにつれて、写真たての「母子犬」を
なんともいえない気持ちで見つめています。
「殺処分」された日にちは過ぎました。
その日を「命日」としていいのかどうか・・。
見てみない振り。気づかないで・・忘れた振り。
でも駄目です。見上げた「母犬のその目」が訴えます。
「なぜ?どうして?」・・と。
主のいなくなった「犬小屋」が捨てきれない私に
「ねぇ、どうして?」と。
自分たち「母子」が「殺処分」されなければならないことの
疑問を答えて欲しいのか、私が自分たちの写真を
立てていることに対しての疑問なのか?
この二つの疑問には私自身答えられません。
「殺処分」・・・あまりにも勝手な人間側の言い分になります。
「写真を立てている」・・・カメラを見上げる「母犬の目」を
忘れないように・・自己満足なのかもしれません。
いいえ、自己満足そのものです。
写真はその母子犬の「殺処分記事」を載せた
読売新聞秋田支局から分けていただいたのです。
其処までしておきながら・・・
忘れた振りをしていた私です。
「なぜ?」と「母犬の目」が聞いてきます。
そう、なぜ忘れた振りするの?と。
忘れた振りをしていた私です。
「なぜ?」と「母犬の目」が聞いてきます。
そう、なぜ忘れた振りするの?と。
「命日」は過ぎました。一回忌といえばいいのでしょうか?
忘れた振り・・・忘れた振り・・なぜ?
トラコミュ日常
1 件のコメント:
世の中に悲惨な事件は多くて私もつい目を逸らしてしまいがちです。でも一体どうすればいいんでしょう。そんな命があったこと、そして今ある命について考え続けることだけでも意味があるのでしょうね。
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