今朝も変わらない朝を迎えた・・・・
いつもと変わらない早朝散歩。
川岸で二羽ならんでいた水鳥(多分、カイツブリ)。
歩いている音ではジッと川面を見つめていたのに、
歩きを止めてカメラを向けた途端に、川へ飛び降りて泳ぎだした。
シャッターを押すのも間に合わない。
一羽だけカメラに収め、歩き続ける。
東北に起こった災害の記憶も消え去らぬのに、
南に大きな災害が発生。
救助を待っている方々が一分一秒も早く救出されることを
お祈りするばかり。
被害似合われた方々、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
なんともいたわしく、ただただ今後まだまだ続くだろうといわれている余震が
一日も早く収束してくれることを祈るのみ。
ここで「お見舞い」「励まし」の文字を打ち込んでも
わたし自身が「もどかしさ」を感じている。
点けっぱなしのTVから被害地のお天気が下り坂だと告げている。
被害はさらに増す。
TVから警報音とともに「緊急地震速報」を告げた。
今朝は日の出が山並みの上の空を「暁色」に染めていた。
5:12
ここではいつもと変わらない、一日の始まり。
そう、夜が明けて日が昇り、
今日もいつもと変わらない一日が始まる。
でも、夜が明けて日が昇っても
いつもと同じ一日が始まらない人たちがいる。
わたしも、一昨日・昨日、そして今日という
迎えた朝は・・・・違っていた。
「もう、いっぱいいっぱい」になり始めている自分がいた。
また重くなってきた荷物下ろさなきゃ。
潰れる前に少し荷物下ろさなきゃならないと感じ始めてきた。
同じ朝ってないんだよね。
ただ、「同じ朝」だって思い込むだけなんだろうね。
★頂いたコメントの返信
*りんママさんへ
いつもどこでもどの「災害地」「被災地」「被災者」には
本当に心痛みます。
「寄り添い」「励まし」「支援」するという言葉が飛び交います。
どんなに「大変だろうな」という思いを何百万抱いても
「被害地」と離れていれば離れているだけ。
「当事者」の気持ちは完全に追体験はできないもどかしさがあります。
報道される「いい話」に安どして、「悲しい話」に胸を震わせる日が
当分続くでしょう。時として、自分に置き換えながら・・・。
「朝が来て夜を迎える」・・・・その間に笑ったりはしゃいだりする日常がある。
それが当たり前の「人それぞれの人生」です。と言い切るしかない?
代ってやることのできない「人それぞれの人生」。
一寸荷物を下ろす時期。
いつの間にかまた荷物が重くなっていて目線は下ばかり。
日の出日の入り、日中の青い空と白い雲。
荷物を軽くして大好きな空を見上げなきゃぁって。
(2016.4.17am4:57 追記)
1 件のコメント:
うさこの母さん
少しお疲れでしょうか?
桜が散るころは、儚くなりますね。
明けない夜明けはないように、同じ朝もないのですもの。
そちらも、こちらも過去に大きな地震を経験していますものね。
現在進行形で大規模災害を想定されている地域でも温度差がありますし。
避難棄民という言葉が頭をよぎります。
残るのが自己の意志であっても、考えさせられる映像もありました。
夫が残るなら妻も一緒に残らねばというのは、地域特性もあるのでしょうか。
互いを思いやれる幸せな時間を共有されてたのでしょうね。老夫婦に合掌。
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