2010年8月14日土曜日

あらぼん・にいぼん・はつぼん・新盆・新盆・初盆


義父の「新盆」です。
同居していたわけではないので、まだまだ「逝った」実感はない。
本家に行けばそこに「居る」ものだと・・。
最後は病院で無くなったのだけれど、その前の入院手術。
そして「家」で生活が困難になり、施設でお世話の生活となった。
入院手術から施設の生活があわせて二年弱。
本人の希望の手術が精神的にも負担が大きかったようだ。
病気知らずの義父だったけれど、手術さえしたらもとの体に
戻ると信じていた・・でも本人が思うより入院手術のストレスは
義父の精神の平常を奪った。

思うように回復(義父にとったら、手術そのものを軽く考えていた
節がある。ちょっとしたデキモノを取り除く・・そうしたら手術前と
変わらない生活に戻れるのだと・・)しない苛立ち。
口にこそ出さなかったけれど、「こんな筈ではなかった」という
気持ちになったことは、その表情・行動で見て取れた。
その「こんな筈ではなかった」ということが気力を奪っていった。
高齢での入院手術(義父にとっては生まれて初めて尽くしだったはず)
退院後は入院手術時の体力の衰えがあったとはいえ、日に日に
気力が無くなっていった・・「こんな筈ではなかった」と、
いつの時点で義父は思ったか?
痴呆・・認知症が(・・?(・・?(・・?あれよあれよというまに進んだ。
結局、「認知症」と医師の判断の元、施設での生活が始まった。
施設の生活に入ってから「認知症」の進行は緩やかながら
右肩上がりの線を描くようになった。

そして施設を移ること3っ箇所。
最後には「多臓器不全」で施設から医療病院に転院して、
そしてそこで「逝った」。
まもなく一周忌・・・このお盆は「にい盆」「あら盆」「初盆」
携帯電話の「アルバム」の中には義父の写真が
何枚も入ったたまま。病院・施設に面会に行くたびに
「じぃちゃん。ほら。写真撮るから笑って、笑って!」と
撮りためた写真。ダンダン無表情になってきた写真。
「認知症」が進むにつれて義父の顔から表情が消えた。
それでも には義父の画が残っている。
携帯電話の写真アイコン開くと義父の顔がある。
3年前に亡くなった実父・・その頃わたしはまだまだ
持っていなかった。 持っていなかった。
今になって思う。もう少し早く携帯電話を持っていたら、
デジカメを持っていたら・・。
携帯電話開いてすぐに、実父と顔合わせられたのにと。

連れ合いの枕元には義父(連れ合いにしたら実父だ)の
自筆のいたずら(?)書き・・メモ用紙に・・・一時の平常な
精神の時に(正気に戻ったと書くと表記上問題があるのかな?)
書いた一文・・・が入った写真立て。
わたしの枕元には、実父より11年も早く「逝った」実母と、
その年恰好がつりあうように、少々若い頃だけれど、
写真館で二人で「記念撮影」に臨んだものを写真立てに。

(義母も実母もず~と以前に、携帯撮影出来る前に
「逝って」しまっている)

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