数日前のこと。
部屋の掃除を、いつものように掃除機をかけていた。
何事も無く、いつものように・・である。
ところが、ところが、それが「いつものように」ではなかった。
「いつものように」とは行かなかった。
何に「躓いたか」という意識もないまま、体が斜めになって、
・・・頭の中はスローモーションなのに、斜めになったと思った
体は、ハイスピードで床に接着していた。
「すってんころりと」転んだのだ。
右足のいわゆる「弁慶の泣き所」が掃除機の吸引ホースに当たった。
「弁慶の泣き所」の割りに痛さは無かった・・ような。
そこよりも右腕の二の腕のあたりの打ち身が「痛いっ!」。
しばらく(たぶん10~20秒の時間だったと思うけれど)床に
自分が、「なぜ寝転んでいるいるのか」(・・?(・・?
「寝転んでいる」のではなく「転んだ」のだと気づいた時には
「弁慶の泣き所」より二の腕の打ち身が痛かった。
同じ「転」でもその文字の前に「寝」が付かないと「ダメージ」が
大きい。痛い。うぅぅぅ・・(T_T)(>_<) 去年も11月7日に右足のひざ小僧下を打ち付けてあざを作った。
今回もまた右足だ。左足の打ち身は記念撮影するほどでもなかった。
そしてそっちのほうが「痛いっ!」と思った二の腕の打ち身も
感じた「痛さ」ほどのことはなく、こちらも記念撮影はパス。
打ち付けたその日は、記念撮影も無駄だと思ったくらい
うっすら赤っぽくなっただけの足。
次の日は「おや?少々青紫になったか。」
この段階で記念撮影なんて思いつかなかった。
残して置けばよかった「赤たん・青たん」を。
そうだ!記念撮影をしておこうと思いついたときには
↓すでに「黄色がっかったあざ」になっていた。
去年はひざ小僧打ち付けたすぐその後での記念撮影。
残っていた「赤たん」をパチリと一枚撮っておいたのだった。
この歳になると「なかなか消えない打ち身痕」。
こんな暑い日続きで、この「打ち身痕」、
ちょっとの短めのクロップドパンツじゃぁ目立つ。
立った時は自分では見えないからいいようなものだけれど、
・・そうそう、人目を気にする歳でもないし。いやいやこの歳だから
人目を気にして「こぎれいに」しておかねば・・・なんて散れじれに
思うのである。クロプッドパンツは家の中だけにしておこう。
そう、しばらくの間は。
そんなこと思うより、どうして「打ち身の痕」が残ることになったのかを
思い出したほうがいいと・・・二度も言うけれど、
「躓いた」覚えはない・・・覚えがないだけでなく、
「躓いた」感じもない・・・「覚え」も「感触」ないとなると・・
\(◎o◎)/!・・・・病院?
ふらつき、めまい・・どれもなし。
ただただ「寝転ばず」に「転んだ」だけ。
頭を打つこともなく、「転んだ」だけ。
「すってんころりと」転んだだけ・・・・・・・危険度の%は高い?
思い出そう、思い出そう・・・なぜ「転んだ」か。
粗忽者のわたし・・きっと自分の足に自分の足が絡まったのだ。
その感触もないままに「転んだ」のだと。・・・たぶん。
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