2009年9月28日月曜日

身近な風景 おくりびと・・・


義父は静かに「人生の日の入り」をしました。
「今夜が病まば(山場)。」と言われ、病室に連れ合いの兄弟が
交代で付き添う。延命措置を望んではいなかったので
天命・寿命・余命のままに・・・。
「今夜が病まば(山場)」を過ぎ、朝を向かえ義父の顔色・呼吸を見守り
午前が過ぎ、午後が過ぎ、夕闇が訪れます。
付き添いを交代し、「今夜が病まば(山場)」の二晩目。
そして朝が来て午前が過ぎ、午後に・・夕闇が再び訪れる。
血圧低下。呼びかけに軽く頷いた義父。
弱弱しくひと呼吸して・・・・静かに逝きました。
「認知症」がかなり進んでいたので、それぞれ子供の顔も最後に
認識出来たのかは本人のみぞ知る・・・と。最後の一呼吸の後は
とても穏やかな顔でした。
「認知症」の進行で施設暮らしをしていた義父。
家に帰りたがっていた義父。念願の帰宅です。
無言の帰宅になりました。ただただ「寝入ったような」穏やかな顔。
静かに静かに自宅で一晩「寝ました」。
「家だから安心してゆっくり寝るんだよ」と。
時間の止まった義父。通夜・葬儀と「行事」が進行します。
生きていることを実感させられるように、わたしたちの時間は
動いています。そしてその動いている時間で
義父の止まった時間を納得させていくのです。
でも何もかも終えた今も、義父が「居ない」という実感が無いのです。
いつもいた場所(施設ですが)に行けば「居る」という感じから
どうしても抜け切れません。そこに行けば片手を上げて
「おぉ!来たか!」と言う義父が、今までどおり「居る」んだと。

「見送った」という実感を受け入れるにはいま少し時間がかかり
そうです。

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