義父は静かに「人生の日の入り」をしました。
交代で付き添う。延命措置を望んではいなかったので
午前が過ぎ、午後が過ぎ、夕闇が訪れます。
付き添いを交代し、「今夜が病まば(山場)」の二晩目。
そして朝が来て午前が過ぎ、午後に・・夕闇が再び訪れる。
血圧低下。呼びかけに軽く頷いた義父。
弱弱しくひと呼吸して・・・・静かに逝きました。
「認知症」がかなり進んでいたので、それぞれ子供の顔も最後に
認識出来たのかは本人のみぞ知る・・・と。最後の一呼吸の後は
とても穏やかな顔でした。
「認知症」の進行で施設暮らしをしていた義父。
家に帰りたがっていた義父。念願の帰宅です。
無言の帰宅になりました。ただただ「寝入ったような」穏やかな顔。
静かに静かに自宅で一晩「寝ました」。
「家だから安心してゆっくり寝るんだよ」と。
時間の止まった義父。通夜・葬儀と「行事」が進行します。
生きていることを実感させられるように、わたしたちの時間は
動いています。そしてその動いている時間で
義父の止まった時間を納得させていくのです。
いつもいた場所(施設ですが)に行けば「居る」という感じから
どうしても抜け切れません。そこに行けば片手を上げて
「おぉ!来たか!」と言う義父が、今までどおり「居る」んだと。
「見送った」という実感を受け入れるにはいま少し時間がかかり
そうです。
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