開花時期すぎた今、たった一輪になっても開花した元気な花たち。
数日前のこと。
「辛く苦しく切ない(心身の痛み)という今いる環境・今過ごしている日々」はね、
人生の中の修行だって言ってた人がいる・・・・
そういう考えからしたらわたしなんかまだまだ修行なかばなんだわ。
って言った人がいた。
言っている意味はなんとなくわかるけれど、
その修行というものが自分の「人生の幕おろし」まで続いたとしたら
「人生の幕おろし」で修行が終わったってこと になる???
その時思った。
「人生、自分の一生の人生が修業というならば、離脱したいと思う時多々。
終わりのある修行ならばいいけれど、幕おろしが終わりになるなんて・・・
人生、自分の一生の人生が修業なんだと思うほど悟ることできないわ。」
楽したいわ。
あの日から・・・・行き先不明の大海原に漂う船から下船したいわ。
今日明日明後日・・・
「修行」とは終わりがないってこと。だそうだ。
曹洞宗 佐藤俊明大教師の説法 第51話 「修行」と「修業」
抜粋 「修業」とは自分のため、自分の利益のために業を習いおさめるもの。
「修行」はなにも求めず、利害損失を離れて、
昔の悟りを開いた人々の道と行ずることである。
あっ!!わたしは特別な宗教とではありません。
たまたま、「修行の終わり」というキーワードを検索してみたらば、
ヒットしたのでありまして、宗教の紹介でもお勧めでもありません。
決して「悟りを開く」なんてことになりゃぁしない。
どこかで「まぁ、いいか」「こんな(そんな)もんか」「しかたないよなぁ」 って
妥協点見つけて幕を下ろす ような気がする。
そんなもんさ って ね。





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