2024年3月1日金曜日

3月1日・・・(走馬灯)・・・(身近な風景)

 思い出や記憶が走馬灯のように・・・とは「言いえて妙」であるとここ最近実感。

子供のころの記憶が自分自身のものなのか、はたまた大人たちの話のつぎはぎが

自分の記憶になったのか。

あの時はこうだった。

母が言っていた。母の声が耳元で聞こえるような

父が言っていた。父の声が耳元で聞こえるような。

保育園児のころの記憶はいくつか確かにある。

ある場面と連動しての確かな記憶が。

小学生のころの記憶…このころはかなり記憶として残っている。

「走馬灯」のように次から次へ場面が変わってその時の言動さえも思い出す。



 ←雪洞は違うかな?

←これ?

←本来はこれだろうなぁ


これまでで一番「楽しかった時間」のを過ごしたあの日。
そう、今思い出しても「あの時間」は、私にとって数ある「楽しかった時間」の
筆頭に挙げるほどのホントに、ほんとに「楽しい時間」の記憶・思い出。

なんと表していいのかわからないほど「幸せ(?)」を感じたあの日のあの時。
 俗にいう、「得も言われぬ幸せベールに包まれた」感を過ごしたあの時間。
 あの日あの時、ああぁ、これを人は「幸せ」というんだろうなぁ。と思ったあの高揚感。

心身ともに疲れ切って「難儀難儀」と大きなため息ばかりついて仕方なかったあの時。
話を聞いてくれたあの人たち。
「こうしたらいい」とか「こうしなさい」とか言わず、わたしがどうしたいかとだけを
わたしが自分自身で気づくまでただ黙って聞いてくれた。


父も母ももう声さえ思い出せないくらいになった。
でも、場面場面の思い出はコマ送りのように思い出せる。
記憶や思い出の不確かな部分を補填してくれる人も「一人減り、二人減り…」

今もはっきりと耳が覚えているあの人の声。
共有する思い出を語り合えることはもうないけれど、
私がこんなこと・あんなことを言ったら、聞き覚えのある声や言葉使いで
きっとこんな風に返してくだろうと。


記憶と思い出の何もかもがコマ送り。
「走馬灯」・・・・
つくづくと、年齢を、ここまで過ごしてきた年月を改めて思い返している。

良くも悪くも・・・今日より先はどうなんだろう。

あぁ、しんどっ!!


「楽しくて・幸せベールに包まれる」ワクワク・ドキドキするようなことが
まだあるのかしら?  ねぇ


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